DIARY 写メ日記の詳細

前回は、自分をよりよく見せるために「装飾」することはすてきなことだと思うけど「虚飾」になってしまってはいけないよね、というお話をしました
今回も「虚」にまつわる話
さて。「虚実皮膜」ということばを、ごぞんじでしょうか?
江戸時代の人形浄瑠璃・歌舞伎の作者、近松門左衛門がとなえた芸術論です
あ、小難しい話をするわけではないので、逃げないでくださいね
【虚実皮膜】
きょじつひにく(「きょじつひまく」とも)
芸の真実は、虚構と現実との微妙なはざまにあるとするもの
真に観客がこころを動かされる芸術美は、現実そのものの「写実」ではなく、嘘とほんとうのぎりぎりの境目、その「あわい」にこそ宿る、という考えかたです
ぼくは小説を書くとき、実体験を題材にすることもあれば、そうでないときもあるのですが、どちらの場合も、そこにある「感情」は本物になるよう心がけています
具体的には、その都度、登場人物に一体化しながら書くのですが、役者をやっていた経験が活きているのか、キャラクターが女性であろうと中学生であろうと、とくに苦労したという記憶はありません
虚実皮膜。これ、女風にも言えることだと思いませんか?
セラピストは、お金を頂戴して、180分なら180分、ときには恋人のようにお相手に接する
金銭が発生しているから、そこにあるすべてのものは「嘘」だと考えるひともいるでしょう
ですが、ぼくはそうは思いません
もちろん100%「真」だなんて言うつもりはない
でも、屁理屈に聞こえるかもしれないけど、そんなことを言ったら世の中のすべての恋人たちだって、100%「真」ではないと思うのです
生活の安定のために、結婚するひともいる。燃え上がるような感情はないけれど、必要とされるのが心地よくて離れられないひともいる
すべての恋人たちは、真実と嘘のあいだで、常にたゆたっている
だったらセラピストとの180分間にだって、ほんとうのものは生まれえるはずです
ぼくは「嘘」が得意ではありません。だから嘘をつくかわりに、いただいた時間、全身全霊で愛情を伝えようと思います
ほんとうのようなまぼろしの時間、まぼろしのようなほんとうの時間、そのどちらもが混じりあって判別不可能な時間を、提供できるよう努めてまいります