DIARY 写メ日記の詳細
誰といても、ひとりでいても。
何を見てても、何に見られていても。
何をしてても、何をされてても。
何かを感知するには必ずどこかしらの神経が働いていて、それを情報として脳が処理しようとする。
目を瞑っていても何故か視線を感じ取れる瞬間がある様に、音楽を勉強していなくたってこの感じが好きなのだと思える様に。
知識や意識とは関係なく身体は常に全力でこの世界を知覚しようとする。自分の存在が常に誰かの意識の中にあったり誰かの存在が急に自分の中に思い出されたり。
ひとり静かな場所に佇んだ時に初めて周囲に存在したものの存在を知覚出来たりもする。
でもその受け皿の形や大きさ、素材や深さ、性質はそれぞれだし。使い方や使わせ方もきっと全く同じようなことはなくて。
ささげられる言葉に制限や重さを意識しなきゃならないからこそありとあらゆる工夫で表現しようとする人、真っ直ぐ分かりやすい安心することを言ってくれる人。
思った事が上手く言えるか伝わるかが不安で焦ったり、伝えられた反応が分からずに勝手に想像をしたり。
再現性の無い表現もあれば似通った使い回された表現もある中で同じことばが違く聞こえたり、そういう細かい小片の堆積であたたかく感じれる人やそれをキャッチできてもすぐに吹き飛ばしてしまう人やそもそも受け皿に乗ることすら無い人。
きっと自分が表現してたものが全く虚無の空間に放出されているだけと知ったらどんなに悲しいか、お金を積まれてももう笑顔になる事は出来なくなってしまう様な弱さもあるので是非自身の感受性が働き、欲しい物を満たしてくれる様な方を探して欲しいと思ってしまうだろうな。
感受性を高めるってどうすればいいのかは分からないけれどきっと特別感を沢山色んな人に貰えたひとにとっての特別はもはや普通なのできっと受け取れる喜びも価値も分からなくなっていくんだろうな、
これはある意味感受性がバグっているとも言えるしそうならない様にはきっと特別じゃないことも、小さい特別の破片も、少しの優しさのあたたかさも、見落とさずに喜べるような感覚を忘れずにいたいなと思う。