写メ日記 | 誇り高きクズとして

誇り高きクズとして

2024/02/26 18:32:51

我々が生きるこの社会の中で

幸せの形は決められている

誰が決めたのかはわからないし

いつからそうなったのかも知らないが

誰もが思い描く幸せには

確かに規範となる枠組みがある

そして多くの人がそれを信仰し

社会はそれを正しさとさえ呼ぶ

それは「家族」と名付けられて

男女の最終目標として位置付いている

生涯の伴侶と見初め合い

不貞もなく永遠に添い遂げ

子宝に恵まれそれを愛し守り抜き

共に助け合い穏やかに生きて

最期は最愛の者たちに看取られ

人生に納得して幕を引く

式典で神に宣誓させるほど

人々はそれを正義と信じている

私のような田舎者は特に

そんな「正しさ」を押し付けられて

生まれながらに信者として生きた


別にそれを否定するつもりはない

野原ひろしと野原みさえを

侮蔑する気持ちは微塵もない

それは素晴らしいし正しいと思う

人のとれる最も綺麗なポーズだと思う

だけど誰もがそうなれるわけじゃない

誰もがそれを目指せるわけじゃない

その宗教に関心のない者

その信仰を毛嫌う者

その信仰に毛嫌われる者

心底それに憧れるのに

自らそれを壊してしまう者

性善説を礎とした

見掛け倒しの社会の裏には

そんな正しく生きられない者たちが

未熟な擬態を駆使しながら

酸素もろくに吸えず蠢いてる

原因は様々あるのだろう

それは生い立ちか、己の強欲か

自由の暴発か、罪の累積か

いずれにせよ我々は日陰で

不誠実のレッテルを貼られ

何の信用も与えられずにいる


私はずっとそこにいる

棄教の与太者を続けている

沢山のことを諦めて

未来をかなぐり捨てた末

当然のようにそこに行き着いた

もう正しく生きるつもりはない

それを非常に残念に思う

死に場所を与えてやりたくも思う

しかし私にもまだ熱があって

愛すべき同胞に期待を寄せて

いじらしく今日もこの界隈にいる


社会の理想に意を唱えたせいで

不正解の道の上を歩かされ

よくわからない後ろめたさと

身に覚えのない後ろ指

彼らからしたらこの生き様は

間違いだらけなのかもしれない

だけど我々は下手くそなだけで

決して悪者なわけではない

不器用さも弱さも無関心も

それだけで人を傷つけたりはしない

体裁を保って虚勢を張り

自らを偽って生きるあいつらの方が

私にはよっぽど悪に見える

偽らない生き方の何が悪い

もちろん私は誰かの人生の

詳細などは何も知らない

だけどその匂いくらいはわかる

正しく生きられない者の愛おしさを

感じとれれば私は安らげる


希望に目を輝かせながら

未来予想図を語る歌声に

私はもう耐えていられない

私はその声を枯らせてしまう

枠組み通りの幸せを求め

正しく生きる気概があるのなら

私の側にはいない方がいい

ここで休んだらまた戦場で

その歌声を存分に聴かせて

その美しさをばら撒くといい

それを見初めず搾取されるなら

またこの温い扉を開けたらいい

無責任に慈しみ可愛がるために

我々はそこに存在している

何も叶えずどこにも導かないが

温かい体温だけは与えられる

傷を癒し再び戦地に赴くなら

勇敢なあなたの健闘を祈る


もしもいつか全てを諦めて

誠実さを馬鹿馬鹿しく思えたら

その時はいつでも一緒にいよう

日陰の世界を案内しよう

みっともなく傷を舐め合いながら

互いの愚かさを見せ合いながら

今しか生きられない私たちの

孤独の埋め方を模索しよう

大切なことは死を待つこと

良い子に上手に死を待つこと